市内の指定文化財
更新日:2023年4月1日
市内にある国・県・市指定文化財一覧
国指定文化財
名称 | 概略 | 指定日 | 所在地 | 管理者 |
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特別名勝松島 | 松島四大観のひとつである宮戸島にある大高森からの眺望をはじめ、日本三大渓の嵯峨渓や点在する島々など、古くからの美しい景観が、奥松島には残されています。 |
1952年11月22日 | 宮戸、野蒜、大塚、新東名 | 宮城県 |
史跡里浜貝塚 | 宮戸島にある日本最大級の貝塚です。貝塚は縄文時代前期から形成され始め、弥生時代前期まで続きました。人骨や多くの骨角器、縄文土器などが出土しています。 | 1995年2月14日 | 宮戸字宮田ほか | 東松島市 |
史跡赤井官衙遺跡群 | 飛鳥時代から奈良時代にかけての「牡鹿郡家」または「牡鹿柵」跡と考えられる≪赤井官衙遺跡≫と、その官衙(役所)の役人一族の墓と考えられる≪矢本横穴≫との2つの遺跡からなります。 | 2021年3月26日 | 赤井字星場、矢本字上沢目ほか | 東松島市ほか |
重要無形民俗文化財月浜のえんずのわり | 宮戸島の月浜地区で200年以上続く正月の「鳥追い」行事です。岩屋にこもった地区の男子が家々を厄払いして歩きます。 | 2006年3月15日 | 宮戸字村 | えんずのわり保存会 |
宮城県指定文化財
名称 | 概略 | 指定日 | 所在地 | 管理者 |
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史跡平田原貝塚 | 大塩地区にある貝塚です。縄文時代早期から前期にかけての内陸にある貝塚で、ハマグリなどのほか、縄文土器や石器が出土しています。 | 1974年4月30日 | 大塩字平田原 |
個人 |
天然記念物新山神社の姥杉 | 大塩地区にある新山神社の御神木です。主幹は真っ直ぐで、太さ、高さとも雄壮感があります。樹高は約30m、幹周は5.6mです。 | 1997年5月9日 | 大塩字中沢上 | 新山神社 |
天然記念物月観の松 | 大曲地区に生育しているクロマツの大木です。主幹は根元から約8mで屈曲し、四方に枝を広げています。樹高16m、幹周4.2m、枝張が東西25m、南北20mあります。 | 2010年4月27日 | 大曲字宮前 | 東松島市 |
東松島市指定文化財
名称 | 概略 | 指定日 | 所在地 | 管理者 |
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醫王寺薬師堂 | 宮戸島にある江戸時代前半の様式を今に伝える薬師堂です。方2間(正面のみ柱間3間)で、屋根は方形造です。周辺では伊達政宗が狩猟を行ったという言い伝えが残されています。 | 2012年11月22日 | 宮戸字大竹和田 | 醫王寺 |
名称 | 概略 | 指定日 | 所在地 | 管理者 |
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木造薬師三尊、不動明王・毘沙門天立像並びに十二神将立像 | 宮戸島の醫王寺薬師堂の本尊として祀られている木造仏像群です。寺の言い伝えでは、伊達家家臣の田村・和田両家より寄進されたもののようです。 | 2012年11月22日 | 宮戸字大竹和田 | 醫王寺 |
木造毘沙門天立像 | 野蒜地区の海津見神社の祭神として祀られている木造の毘沙門天像です。躍動感あふれる作風から鎌倉時代の作とみられます。 | 2018年8月29日 | 野蒜字亀岡 | 海津見神社氏子会 |
名称 | 概略 | 指定日 | 所在地 | 管理者 |
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大塚不動尊梵鐘 | 大塚地区の五十鈴神社に貞享元年(1684年)に奉納された梵鐘です。もとは不動明王を祀る仏堂であったという縁起が梵鐘表面に刻まれています。 | 1979年12月27日 | 大塚字大塚 | 五十鈴神社 |
名称 | 概略 | 指定日 | 所在地 | 管理者 |
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建治二年板碑 | 矢本地区の須賀神社近くに立つ鎌倉時代中期の板碑です。古くからその存在が知られていた板碑で、安永5年(1776年)の『矢本村風土記書上』にも記されています。 | 1973年1月30日 | 矢本字上新沼 | 東松島市 |
天保八年三界万霊供養碑 | 小野地区の功岳寺に立つ石碑です。多くの餓死者を出した天保年間(1831年から1845年)の大飢饉の惨状を今に伝える供養碑です。 | 1975年4月30日 | 小野字門前 | 功岳寺 |
東齋塩場の碑 | 東名地区の共同墓地に立つ石碑です。石碑には、江戸時代に藩命によって東名塩田を開いた奈和良元直の功績が刻まれています。 | 1975年4月30日 | 大塚字東名 | 東名六親講 |
正和四年板碑 | 西福田地区に立つ正和4年(1315年)の板碑です。当時、この地を治めていた長江氏の一族とみられる人物の名が刻まれています。 | 1976年2月25日 | 西福田字関下 | 個人 |
小野道しるべ石 | 小野地区にある天保10年(1839年)に建てられた道しるべです。現在の石巻市、気仙沼市までの道程を標しています。 | 1976年2月25日 | 小野字新町尻 | 小野上区、小野下区 |
上下堤道しるべ石 | 上下堤地区に立つ道しるべです。延享2年(1745年)に建てられたころには、富山観音堂へ至る道沿いにあったとみられます。 | 1979年12月27日 | 上下堤字平崎前 | 個人 |
文永十年板碑 | 根古地区旧松岩寺に立つ文永10年(1273年)の板碑です。市内で最も古い板碑で、鎌倉時代の元寇(モンゴル襲来)のころのものです。 | 1979年12月27日 | 根古字熊野前 | 根古区 |
阿弥陀三尊種子板碑 | 根古地区にある板碑です。弘安5年(1282年)のもので、この地の領主であったとみられる「兵衛五郎入道」という人物の名が刻まれています。 | 1990年2月26日 | 根古字清水 | 個人 |
阿弥陀三尊来迎図像板碑 | 大塩地区鈴ヶ原公園内にある板碑です。弘安2年(1279年)のもので、阿弥陀三尊の来迎が刻まれた、県内でも珍しい板碑です。 | 1995年4月1日 | 大塩字緑ヶ丘 | 個人 |
日本最初の世界周航者多十郎の墓碑 | 宮戸島の観音寺境内にあります。江戸時代、室浜出身の多十郎は、乗船していた若宮丸が遭難したことにより、奇しくも日本人として初めて世界一周することになった人物です。 | 2003年2月21日 | 宮戸字門前 | 観音寺 |
日本最初の世界周航者多十郎の服 | 日本人として初めて世界一周することになった多十郎が、ロシアに漂着した際に、当時のロシア皇帝から賜ったと伝えられるジャケットです。 | 2005年1月26日 | 奥松島縄文村歴史資料館 | 東松島市 |
立石水門改築記碑 | 大正3年(1914年)に建立され、野蒜新町立石地区の水門が従来の木造から石造に改築された経緯が記されています。その存在は永く知られていませんでしたが、東日本大震災からの復興事業の過程において、所在が確認されました。 | 2022年12月23日 | 浜市地内 | 東松島市 |
名称 | 概略 | 指定日 | 所在地 | 管理者 |
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石棒 | 国史跡「里浜貝塚」から出土したと伝えられる縄文時代中期の石棒です。長さ70cm、最大径18cmです。当時は下半部を土に埋めて、直立させていたとみられます。 | 2018年8月29日 | 奥松島縄文村歴史資料館 | 東松島市 |
革帯 | 矢本横穴第95号墓から出土した牛革製の帯で、当時の官人が正装時に着ける古代のベルトです。帯一本分がまとまって出土した例は稀で、革まで残存しているものは国内で数例しかない貴重な資料です。 | 2022年4月25日 | 奥松島縄文村歴史資料館 | 東松島市 |
名称 | 概略 | 指定日 | 所在地 | 管理者 |
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大曲浜獅子舞 | 大曲浜に伝わる正月獅子舞です。享保年間(1716年から1732年)に始まったと伝えられ、大漁や豊作を祈願する勇壮な舞です。獅子頭の持ち手が肩車に乗る二階獅子が特徴です。 | 1983年2月23日 | 大曲字道下南 | 大曲浜獅子舞保存会 |
鹿妻の鹿踊 | 鹿妻地区に伝わる芸能で、流儀を「奧山行山流八つ鹿踊」いう8頭立ての鹿踊(ししおどり)です。2度ほど中断の時期がありましたが、昭和60年(1985年)12月に再興されました。 | 2021年3月26日 | 矢本字上沢目ほか | 東松島市鹿妻鹿踊り保存会 |
名称 | 概略 | 指定日 | 所在地 | 管理者 |
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餅田貝塚 | 大塩地区にある貝塚です。縄文時代早期から前期にかけての内陸にある貝塚で、ハマグリやアサリなどの貝類のほか、少量の縄文土器が出土しています。 | 1973年1月30日 | 大塩字餅田 | 個人 |
小分木貝塚 | 大塩地区にある標高54mの小高い丘陵上の貝塚です。縄文時代早期から前期にかけての内陸の貝塚で、アサリなどのほか、縄文土器や石器が出土しています。 | 1973年1月30日 | 大塩字小分木 | 個人 |
矢本館跡 | 上舘下地区の丘陵の頂上付近にあります。かつてこの地を治めていた長江氏一族の居城だったようです。記録によると、規模は東西71間(約130m)、南北83間(約150m)です。 | 1973年1月30日 | 矢本字上舘下ほか | 個人 |
小野館跡 | 小野・根古・高松地区にあるそれぞれの丘陵上に三つの館の跡があります。この地を治めていた長江氏一族の本拠地でした。このうち、桜ヶ森館は東西270間(約480m)、南北300間(約540m)の規模だったようです。 | 1976年2月25日 | 小野字裏丁ほか | 東松島市ほか |
野蒜築港中央公園跡 | 鳴瀬川の河口部左岸に明治政府によって築かれた日本初の近代港湾です。同時に市街地も造成されましたが、完成途上に台風の被害を受け、計画は中止されました。 | 1990年2月26日 | 浜市字樋場 | 東松島市 |
名称 | 概略 | 指定日 | 所在地 | 管理者 |
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大塩小学校の高野槙 | 大塩小学校の校庭にあるコウヤマキ科の巨木です。高野山(和歌山県)に多く見られることが、名前の由来です。樹高18m、幹周約3.1mで、樹齢は推定800年です。 | 1973年1月30日 | 大塩字中沢下 | 東松島市 |
滝不動尊の欅 | 上舘下地区にある滝不動尊を祀る大明王院境内に生えています。根元に生息している2本のカヤの根と複雑に絡み合っています。樹高約17m、幹周約7mで、樹齢は推定1000年です。 | 1973年1月30日 | 矢本字上舘下 | 願成寺 |
むろの木 | 宮戸島大室に生息しているヒノキ科のイブキという常緑樹です。南北朝時代の「お筆むろ」伝説が残されています。樹高約14m、幹周約4.3mで、樹齢は推定700年です。 | 1975年4月30日 | 宮戸字大室 | 個人 |
高松寺のイチョウ | 高松地区の高松寺境内にあります。雌株で銀杏がなり、樹勢がさかんです。樹高約28m、幹周約3.6mで、樹齢は推定150~200年です。 | 1990年2月26日 | 高松字寺前 | 法昌寺 |
醫王寺のカヤ | 宮戸島の醫王寺境内にあります。雌株で良質な実がなるため、飢饉の際には貴重な食料になったと伝わっています。樹高約20m、幹周約3.8mで、樹齢は推定300年です。 | 1990年2月26日 | 宮戸字里 | 醫王寺 |
醫王寺のイチョウ | 宮戸島の醫王寺境内にあります。雌株で銀杏がなり、枝張り、根張りともに立派です。樹高約23m、幹周約3.6mで、樹齢は推定200年です。 | 1990年2月26日 | 宮戸字里 | 醫王寺 |
定林寺のイチョウ | 野蒜地区の定林寺境内にあります。雌株で銀杏がなり、枝が四方に広がる堂々たる大木です。樹高約30m、幹周約4.2mで、樹齢は推定150~200年です。 | 1990年2月26日 | 野蒜字寺沢 | 定林寺 |
宮戸島のセッコク | 宮戸島の嵯峨渓の岸壁に群生しています。セッコクは単子葉植物ラン科の可憐な花で、岩の上や大木に着生します。 | 1996年7月1日 | 宮戸字大室 | 個人 |
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